ジャコ・パストリアス バイオグラフィー(2)1976年~1981年

ウェザー・リポートへの加入で栄光を極めた70年代後半の活躍

ボビー・コロンビーに会う以前の1975年に、ジャコはツアーでマイアミを訪れていたウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌルに会っている。自身のデビューアルバム『ジャコ・パストリアスの肖像』と、パット・メセニーのデビューアルバム『ブライト・サイズ・ライフ』をレコーディングする数ヶ月前のことだ。「自分は世界最高のベーシストさ」「オレは以前からあんたのファンだったよ」ジャコはザヴィヌルしつこくアプローチしていた。ザヴィヌルはジャコの執拗なセールスに根負けし、デモテープを預かることとなった。




当時ウェザー・リポートのベーシストはアルフォンソ・ジョンソンだったが、その脱退が決定的となったとき、制作中のアルバム『ブラック・マーケット』は未完成だったが、このころ、ジャコはザヴィヌルに手紙などで連絡をとっていた。その甲斐もあってザヴィヌルはジャコのデモテープを何度となく聴き、ウェザーリポートのもう一人の主要メンバーであるウェイン・ショーターとジャコがアルフォンソ・ジョンソンの後任に相応しいかどうかを相談していた。

Weather Report (Columbia)

ザヴィヌルはデモテープに録音されたジャコのベースがアップライトベースだと思い込んでいたからだ。ザヴィヌルは「きみはエレクトリックベースも引くのかい?」ジャコに尋ねたという。ジャコの演奏はエレクトリックベースであることを知ったザヴィヌルは、未完成だったアルバム『ブラック・マーケット』への参加を打診する。 アルフォンソと入れ替わる形で録音に参加。ザヴィヌルは以前自分が在籍していた恩師キャノンボール・アダレイに捧げた「キャノンボール」と、ジャコのオリジナルナンバー「バーバリー・コースト」の2曲を録音。以降ウェザー・リポートのメンバーに加わった。

Weather Repor / Heavy Weathert (Columbia)

ジャコの加入でR&Bやロックのテイストを取り入れたサウンドは、それまでジャズに関心を示さなかった若い白人たちにも受け入れられ、アルバム『へヴィー・ウェザー』は、ビルボード・ジャズ・チャートで一位を獲得し成功を収める。1978年には『ミスター・ゴーン』を発表。このアルバムからピーター・アースキン(ds)が加入。以後ウェザー・リポート史上最もパフルなリズムセクションが誕生した。

Weater Report (Columbia)

ジャコはウェザー・リポートでの活動と並行して、カナダ出身の女性シンガー、ジョニ・ミッチェルと親交を深める。彼女は70年代初頭からジャズミュージシャンを起用してのレコーディングが多い。ジャコとはよほど相性が良かったのか、発のコラボレートとなった『ヘジラ』以降4枚ものアルバムに起用している。中でもジャコのほかパット・メセニー、マイケル・ブレッカー、ドン・アライアス、ライル・メイズが参加したライブ盤『シャドウズ・アンド・ライト』は傑作だ。

Joni Mitchell (Asylum)

1981年ウェザー・リポートは、ファーストアルバムと同様に自らのグループ名をアルバムタイトルにした『ウェザー・リポート』を発表。このころからザヴィヌル主導によるアルバム制作でジャコとアースキンの影が薄くなってゆく。ジャコはソロ契約をしていたEPICからワーナーに移籍した。このことはウェザーリポートと契約を交わしていたCBS/COLOMBIAを激怒させた。

1981年ジャコは満を持してセカンド・アルバム『ワード・オブ・マウス』を発表した。スティール・ドラムと大編成のブラスオーケストラ。それは往年のビッグバンド・ジャズとは明らかに異なるサウンドを創出した。日本ではジャズ専門誌主催の賞を獲得する人気となったが、本国アメリカでは5万枚程度のセールスにとどまった(ジャコの正規のリーダーアルバムは、デビュー盤とこの『ワード・オブ・マウス』のみである)。

Jaco Pastorius (Warner Bros.)




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